阿川弘之先生は、あだ名が『瞬間湯沸かし器』で、突然怒り出すことがあり、編集者などには結構怖がられていたそうです。私も先生のお宅にお邪魔していたとき電話が鳴り、阿川先生が「チョット失礼」と電話に出ました。話の様子から、相手は大手の新聞社の記者のようでしたが、突然、「君は何を言って居るのかね!!」と怒鳴って、ガチャンと受話器を置いたことがありました。私は、「ははん、あれが有名な沸騰状態なのか」と、他人事なので面白く見ていました。阿川先生は、そのまま何事も無かったように話に戻りました。阿川先生は、私などのように海軍の話し相手にはいつも優しかったものです。

 唯一怒られるといけないので気をつけていたのは時間を守ること。これは阿川先生ばかりではなく、とにかく海軍の人は時間にうるさい傾向がありました。例の5分前の精神です。

 私は阿川先生のご自宅に伺う時などは、早めにご自宅の近くに着いて、時計を見てぴったり5分前に着くようにしていました。これだけで阿川先生のご機嫌は麗しいのですから、簡単と言えば簡単です。

 ところが、最近ご長男の阿川尚之様にこの話をしたところ、

 「それは他人に厳しいだけで自分はずいぶんルーズだったのですよ」と笑っていました。

 「え~、私の努力は何だったのだ、あの世で会ったら一寸文句を言おう」と思いました。

 阿川先生には、大和ミュージアムの名誉館長をお願いしていましたが、十分に先生のご希望を展示に反映できないうちにお亡くなりになってしまったことが残念というしかありません。

 阿川先生は無論大和の大ファンで、代表作の『軍艦長門の生涯』に目の前でご署名された本を頂いたときに、図々しくも、「阿川先生、次は『軍艦大和の生涯』をお願いしたいです。」と言ったのですが、残念ながら、返事は雑談の中に埋もれてしまいました。

 大和ミュージアムの話になったときに、「戸高さん、大和ミュージアムの展示はなかなか良いけれど、もう少し海軍と技術に関して、人間との関わりについてもっと説明が出来ると良いですね。人間あっての歴史であり、技術だと思いますよ。」と、にこやかに話されたことがありました。

 私は小さくなって、「はい」と言ったのですが、今思えば、「阿川先生、そのように頑張りますので、よろしかったら、面白いエピソードなど教えていただけませんか?」と聞くチャンスだったのに、いろいろ聞けば良かったな、と思いました。

 海軍の話をしていると、いつも上機嫌で楽しかった阿川先生のお顔が今でも目に浮かびます。

 ちなみに、阿川先生の御宅は、外の駐車場から、エレベーターを使って玄関先まで上がっていくという驚くような家の造りでした。

 このような縁から、大和ミュージアムでは阿川先生の残された資料を大量に頂き、現在整理中です。中には先生が執筆されていた当時を窺えるように、机や実際にご使用になっていた文房具まで頂きました。時期を見て、阿川先生の資料を公開できればと考えています。明治以来、海軍と文学については、まだまだ多くのテーマがあると思っています。

 大和ミュージアムは、技術やものづくりの歴史をテーマにしていますが、阿川先生がおっしゃったように、『人間あっての技術』であると言う側面も大切にして行きたいと思っています。