あちこちで、大和ミュージアムに関する話をさせて頂くことが多いのですが、よく希望されるテーマに、大和、物つくり、の伝統・・と言ったキーワードがあります。大和を作り上げた物つくりの伝統と言えば、純粋に技術問題のように思われるかも知れませんが、実のところ、大和を支えた技術の根元は、個々の技術の技術問題であるよりも、その技術の背景にこそ有る、と言わなければならないと思っています。造船技術というものは、普遍的な知識であり、実際の所、特に大和だけに特別なものはありません。大和に結集した造船、造機、造兵、いずれの技術も、幕末以来、日本人が全力で導入してきた最新技術の成果だったのです。本当の力というのは、これらの技術が、明治維新以来僅か50年ほどで、日本独自の技術として運用できるまでに育ったことだと思います。
よく、科学技術と一括りに言いますが、科学と技術は全く異なる世界なのです。簡単に言えば、科学は理論であり、技術は、いわば実業とも言うべき世界です。理論の構築によって設計図面が纏められますが、これは言うまでもなく製品ではありません。まだ紙の上の墨の線、であり、計算書に過ぎないのです。この図面を元に、製造現場で物を作り上げて、始めて製品となるわけです。大和は、こうして建造された製品であったところに価値があるのです。なぜなら、当然ながら世界の海軍国にあっては、理論上は大和を越える戦艦の設計は可能であったし、現実に大和を越える戦艦の計画は存在しますが、実現化していません。それは、国ごとの事情があるでしょうが、最大の原因は、製造技術そのものに有ったと思うのです。どのように素晴らしい設計図が出来上がっても、現実に作ることが出来なければ、それは絵に描いた餅に過ぎないのです。「物」は、作り上げて、初めて「物」なのです。
私が、大和建造を支えた物つくりの伝統と言うときに思い浮かべるのは、上記のような、現実の物つくりの力であり、それがどのように導入され、磨き上げられてきたかと言うことなのです。アジアでも遅く開国し、国家の近代化においても後進国であった日本が、なぜこのような科学と技術の導入に成功したかは、極めて興味深く、かつ大きな問題であると思っています。今過去の百数十年を振りかえることは、これからの百数十年の大きな参考でなければなりません。これら、過去を検討する場としても、大和ミュージアムの存在理由が有るのではないかと思っています。