大和ミュージアムでは、大和に限らず明治以降の、特に造船に関わる資料を集めています。海軍艦船に関する資料に関しては、既に、当然ながら日本一の質と量を確保して、整理の終わった分は、ライブラリーで複写サービスを受ける事が出来ます。しかし、まだまだ終戦時の焼却を免れて保存されている資料は多く、今後も資料の収集は、館として大事な事業として継続してゆきます。

 しかし、技術資料は、美術品などと異なり、一見したところ、単なるゴミに見えることも多いために、貴重な資料が廃棄されると言うことも少なくないのです。10年ほど前になりますが、大和建造にも関わった技術士官が亡くなったとき、遺族の手で、押入れ一杯あった資料が「燃えるごみ」で廃棄された事がありました。その直後にご遺族から「あまりに多かったので、一度に出すことが出来ず、大変だった」と話を聞いて、泣きたい気持ちになったものです。

 こう言うこともあるので、何でも、一度は当館に相談して欲しいものです。

 反対に、思いもかけない資料の寄贈を受けることもあります。最近では、東京大学が学部の制度変更で造船科が無くなり、明治以来の造船学科の図書資料を整理することになったのですが、東大の中央図書館で必要とした以外の図書が処分されることになったときに、私が東大の平賀譲資料研究会に長く関わっていた縁から、大和ミュージアムで興味がありますか、と連絡を頂きました。無論、私は「処分予定のものは、全部頂きます」と、生まれながらの遠慮のない申し出をして、大量の図書を頂きました。現在整理中ですが、19世紀からの英国海軍造船学会年報などを含む貴重な資料を含んでいて、当館の貴重な資料となりました。同時にいくつか、教材とされていた模型も頂きましたが、中には、英国海軍が東京帝国大学に寄贈した(恐らく平賀総長の関わりで寄贈したものでしょう)、巡洋戦艦フッドの船体模型があり、これは、船型模型で、上部構造物などは無いものですが、昔から東大工学部3号館の廊下に置いてあったので、私は、よく、これが一番のお宝ですね。と言っていた模型なのです。

 変わった物では、呉工廠で大和建造当時の設計主任であった、牧野茂氏が戦時中、海軍艦政本部で使用していた事務机を収蔵しています。これが艦政本部で使われていたことは、牧野氏がお元気な頃に、よくご自宅にお邪魔しましたが、そのときにご当人から聞いたことですから、間違いないと思います。牧野氏がお亡くなりになった後で、奥様から多くの大和、信濃に関わる貴重な資料を当館に頂きましたが、最期に部屋の中にポツンと残った机をみて、奥様に、あれも頂けませんか、と聞いたところ、「戸高さん、あんなもの興味あるの、いるなら持って行ってちょうだい」と笑いながら言われたものです。

 こういった資料集めの話は、たくさんありますが、多くの人が、大和ミュージアムで大切にしてくれるのなら。と貴重な資料を寄贈してくださることには、本当に有り難いことと、感謝に耐えません。

 これからも、積極的に資料を収集し、これら資料を展示に生かしながら、常に日本一の館であるように頑張りたいと思っています。