平成16年春、大和ミュージアム設立のために呉市に着任して、暫くしてから尾道市に円鍔勝三彫刻美術館があることに気が付き、驚きました。円鍔先生は、私が多摩美術大学の彫刻科に入った時の教授で、そのブルーデルのような力強い作風は好きでした。当時の教授はもう一人建畠覚造先生で、こちらはデザイン的なモダンな作品が中心でした。当時人気があった彫刻家は、東京造形大学の佐藤忠良先生、東京芸大の船越保武先生で、今思うと戦後の現代彫刻黄金時代だったわけです。
 
 私が入学した1969年ころは、大学紛争が収まらず、入学試験直後に大学は封鎖されてしまい、授業の開始は9月まで遅れました。入学式をやった記憶は無いので、無かったかも知れません。
 
 私が入った年は、彫刻科は募集が15名、入学は14名でした。水増しと言うのは聞きますが定員割れでした。試験のときは、募集の10倍以上は受験していたと思うのに、もったいない話です。美術大学の受験は、実技が先で、どこでも1次がデッサン、2次が実技(彫刻とか油絵とか)、これが受からないと学科試験は受けられないので、予備校の先生は、君たち、勉強なんか適当でよいよ、デッサンがだめなら、いくら勉強しても試験受けられないのだから・・と真面目な顔で言ったものです。
 
 入学して、最初のオリエンテーションで、2人の教授が並んで、まず言った言葉が忘れられません。あまりまともな格好をしているとは言えない私たち新入生をじろりと見て、
 
「君たちねー、うちは(彫刻科は)学校創立以来求人はきたことないよ。こんなことをやるとね、50(歳)になっても誰かに食べさせてもらわなくちゃ生きてゆけないようなことになるよ。人並みの生活がしたかったら、すぐに他の大学に行かないといけないよ」
 
 そして、またじろりと見まわします。まさか、ここで退学するような人間はいませんが、先生としては、念のための親切心だったのだと思います。私は、「職業訓練のつもりで来たわけじゃないですから、就職なんかする気はないし・・」と、一人前のことを小さな声で答えたものです。
 
 彫刻の勉強は面白いものです。課題があって作品を作るわけですが、私などは、円鍔先生が「なに、これ?」と全然評価してくれなくても、これ面白いと思いますが・・と、平気でした。作品の良し悪しは、作者が決めれば良いのだ、と信じていたのですから、良い気なものです。
 
 私の同期生には、もっと凄いのがいて、雪の降った講評の日に作品が出来ていなかったのですが、どうするのかなあ、と思っていると、校庭の雪を木箱に詰め込んで押し出し、アトリエの中に四角い雪のブロックを数個積み上げたのです。先生が来て、端から講評が始まると、彼は先生の前に行って、「先生、僕の作品から見てください、溶けちゃいます・・」まあ、こんな学生でもOKと言うところが、私向きだったのです。今の美術大学では、こんな事は通らないのではないでしょうか。当時の現代アートの世界は作品よりもコンセプトが第一で、個展に行くと、薄暗い画廊の中を蛍光スプレーを吹き付けられた鶏が走り回っているだけ、とか、やはり個展に行くと作者が一日中銅鑼を叩いているだけ、などというのが珍しくなかったのです。
 
 私は個人的にはギリシャ彫刻が好きで、具象作品を良しとしていたので、ずっとおとなしい具象作品を中心に制作していましたが、自分で、まあ下手ではないけれど、プロのレベルではない。と判断していましたので、プロの作家になる気はありませんでした。自分の手で何かを作ること自体が好きだったのです。
 
 作家としては、今でもピカソと藤田嗣治が一番上手いと思っています。ピカソは晩年になるほど好きで、上手い下手と言うような俗な基準を超越した作品を残しています。私は、ピカソの晩年は、まるで画狂人を自称した北斎の晩年と瓜二つのような気がしています。
 
 話が飛びましたが、彫刻を勉強して、一番良かったのは、答えは人間の数だけある。ということを確認した事です。
 
 数学などでは、設問に対して、原則的に答えは一つです。つまり、正解以外は間違いなのです。しかし、美術の世界では、同じモデルを100人の絵描きが描けば、100通りの違った作品になるのです。同じ人でも、2枚目の作品は、また違う。科学や数学の世界では、答えは収斂してゆくものなのですが、芸術の世界では、答えは無限に拡散してゆくのです。そして、だれもが、上手い下手という評価はあっても、間違い、と言われることは無いのです。芸術の世界は、許容と寛容の世界なのです。
 
 あらゆる問題には、多くの答えがある。と思うことは大切なことと思います。一つの考えだけが正しく、他は間違っている。という考えは、自分の考え、あるいは自分の国の考えだけが正しく、他の考えは間違っている。という考えとなり、世界に多くの紛争と不幸を生む原因となっているような気がします。
 
 多くの人が、互いの考えを許容することによって、和やかな社会が出来てゆくのではないでしょうか。
 
圓鍔勝三彫刻美術館

圓鍔勝三彫刻美術館