800万人 3月17日、大和ミュージアムは、開館以来の来館者累計が800万人に達しました。
好天に恵まれて、ひときわ華やかなイベントが出来ました。
 
 開館が8年前の平成17年4月23日ですから、実際は7年と11か月弱です。開館から8年もたちながら、毎年変わらずに多くの方に来館して頂けることに、感謝の気持ちと同時に、大きな責任を感じました。
私が、呉市が海軍と技術の歴史を中心とした博物館を作ろうとしているのを知ったのは、平成に入ったころ、あるいは昭和末だったかもしれませんから、もう25年近く昔のことです。当時私が勤務していた財団法人史料調査会に、海軍の資料を探しに呉市から市史編纂室の千田先生が時折見えては沢山の資料をコピーしていました。私は、呉市は面白そうな博物館を作ろうとしているなあ、と、期待を持って手伝っていたものです。

その後私は財団法人史料調査会の理事になつていましたが、平成5年に当時の厚生省の依頼で、昭和期の国民生活に関わる資料館を作るということで、平成6年にこの事業を受託していた日本遺族会に移籍し、博物館設立に従事しました。これは5年かかって、平成11年に九段下に「昭和館」として開館し、私は図書情報部長(当初学芸部長兼務)として勤務していましたが、この間も途切れずに、呉の博物館の調査の相談がありました。

その後、ようやく呉の博物館の建設が具体的になったころ、急に呉市から、戸高さん、「昭和館」が一段落したら、うちを手伝ってくれませんか、と思いもかけなかった相談を受けることになり、考えた結果、呉の博物館設立を手伝う事となったのです。

平成16年春、呉に着任したときの気持ちは、本当に、運命とは、こういうものか・・。と思ったものです。当時は呉市職員としては決まった仕事は無く、当然館長でもないので、市からは、まあ暫く様子を見ていてください。と言われただけで、現実には10分の1の大和建造の監修者、というような立場でした。

翌年、平成17年の開館が近づいたころ、市から、議会に、集客予想を提出するのだが、どのくらいの集客が見込めるだろうか、と相談されました。私は、年間10万人来れば成功ですから、基本的に10万人は目標です、開館の年は話題性があるから倍の20万人は見込めます。と言ったのですが、議会では、初年度40万人、通年20万人と、倍の数字が報告されました。私は大変なことになったなあ、と困った記憶があります。

平成17年4月、大和ミュージアム開館と同時に、私は初代館長に就任しましたが、予想をはるかに超えた来館者に、私自身驚きの毎日でした。これも、呉市の市民ばかりでなく、周辺の多くの方々の、熱心な支援のおかげと思いました。

このような施設は、市ばかりが熱心でもだめなのです。周囲の多くの方々の協力なしでは成り立たないものなのです。呉市ばかりでなく、周囲の多くの企業、団体、個人から受けた、温かい支援こそ、大和ミュージアムを盛り立ててくれた原動力だったのです。特にボランティアの方々の熱烈と言ってよいほどの活動が、大和ミュージアムを支えている大きな力の一つと思っています。

幸い累計800万人という多くの来館者を迎えることが出来た大和ミュージアムですが、今後とも、博物館としての内容の充実に力を入れて、多くの方々のご支援を頂きながら、日本中からお見えになる来館者に、更に満足していただけるような館にしてゆきたいと思っています。