しばらく館長ノートがお休みしていたので、ホームページの担当者に、館長!!とハッパを掛けられました。

 今年は春からの新型コロナウイルス感染の拡大で、大和ミュージアムも3月から臨時休館をしたために、多くの皆様にご迷惑をおかけしました。ようやく6月から開館しましたが、来館者の体温チェック、アルコールでの消毒、来館者が展示室で一か所に固まらないようにするための誘導など、まだまだ開館しているとはいいながら気を遣うことが多い状態です。

 特に、春からの企画展「海から空へ」は、大和ミュージアムとしてぜひ実施したかった、広海軍工廠の歴史展示であり、力を入れたものです。ところが、突然の臨時休館のために、4月23日のオープン予定から一か月以上全く無人のままで、いつまで休館が続くのか分からなかった頃には、せっかく作った展示がこのまま見てもらえないことになったら・・と心配し、本当に残念だなあと思っていました。

 広海軍工廠は呉海軍工廠と山一つ隔てた隣接の施設ですが、呉海軍工廠が艦船の建造を行っていた時に、航空機の研究開発などをしていました。呉の地は、日本において、船と飛行機の研究開発の先端的な技術の町だったのです。

 特に今回は、日本海軍の飛行艇の開発の中心であった広工廠の歴史の中で、重要な位置を占める、英国から派遣されたセンピル大佐の資料を展示することができました。センピル大佐は、日本海軍の要請で大正10年から11年にかけて、海軍航空の技術と実際の運用を指導するために英国から29人の指導員とともに来日し、主に霞ヶ浦航空隊で教育を行い、日本海軍航空の発達に貢献した人物です。

 今回の企画展のための英国での資料調査で、センピル大佐のお嬢様がご高齢ながらお元気なことがわかり、直接貴重な資料を拝借することが出来、日本で初めて公開する資料も展示することが出来ました。同時に広で発掘された誉エンジンも、甚だしく損傷してはいますが展示しました。

 広海軍工廠の飛行艇で思い出しましたが、私が若いころに話を聞いた数人の飛行艇の整備をしていた古い整備員の人たちは、初期の飛行艇F5を、「エフ・ご」ではなく、例外なく「エフ・ファイブ」と発音していました。恐らくセンピル大佐以下の英国指導員の発音を、そのまま受け継いだのでしょう。歴史資料の世界では、文字情報は残りやすいのですが、こういった発音情報はなかなか残り難いので、早いうちに資料を集めて整理しておきたいものです。

 さて、いつ公開できるのか、少し心配しましたが、企画展は6月からは何とか開館できましたので、現在は来館した方にはゆっくりと見学して頂いています。

 

 一方、この新型コロナウイルスのための各地の博物館への影響は大きく、特に時間の限られた企画展などは、せっかく準備しながら全く公開されないままに終わってしまったケースもありました。東京九段下の昭和館でも、3月14日から5月10日までの会期で、「SF・冒険・レトロフューチャー~僕たちの夢とあこがれ」という企画展を準備していましたが、とうとうオープン前に臨時休館となり、公開されないままに会期が終了してしまいました。私は展示資料に興味があり、また、大和ミュージアムの将来の企画展の参考にと思い、展示の完成後に内覧させていただきましたが、戦前戦後の少年少女を熱狂させた雑誌の挿絵の原画がズラリと並んでいました。中でも冒険小説的な作品のイラストの原画などは、素晴らしい内容でした。戦前の挿絵画家の大家、樺島勝一などの、雑誌「少年倶楽部」などを飾ったイラストの原画や、戦後のSFやミリタリー・イラストの今や伝説的な作家、小松崎茂の数多くの原画には目を奪われました。私が小学生の時に読んだ宇宙SF小説の口絵の原画などを見て、あの小松崎茂の大きなサインだけで興奮したのを思い出しました。

 私が小学校4年のころ初めて読んだSF小説は、「宇宙探検220日」という、講談社の子供向けの本で、当時の本は無くしましたが、その後古本屋で探して入手し、今も書棚にあります。この思い出の本のイラストの原画が、60年以上も経過しているのに、昨日描いたように綺麗に保存されていたのには感動しました。この作品は、講談社が保存していたものです。こういった資料は、あちこちの所蔵者を探し、交渉して借用するので、企画展をまとめるには本当に大変な苦労をするものなのです。

 この企画展が、とうとう公開されずに終わってしまったことは、ファンにとっては本当に残念なことですが、企画展図録は立派なものが作られているので昭和館に問い合わせれば入手できるということです。

 

 

 こう書いている現在も、新型コロナウイルスの感染は収まる様子がなく、まだ完全な終息宣言が出るまでは長い時間がかかると思いますが、私たちは、ただ感染を恐れているだけでは済みません。どんな状況でも最善を尽くして対応するのが私たちの仕事と思います。これこそ、軍艦設計で追及されてきたダメージコントロールの精神なのではないでしょうか。

 万全を尽くして、多くの方々に、制限なく自由にいつでもご来館頂けるように頑張っていますので、しばらくの間大和ミュージアムのやや制限された見学環境をご理解いただきたいと思います。