■概要

宮尾昌弘氏所蔵、入船山記念館寄託

「浦島測量図 」宮尾昌弘氏所蔵、入船山記念館寄託

はじめて「呉(くれ)別府(べっぷ)」として現れます。高野山文書永暦元(1160)年6月28日美(び)福門院(ふくもんいん)令旨(りょうじ)には「安摩(あま)荘(しょう)呉(くれ)浦(うら)」、石清水八幡宮文書元暦2(1185)年正月9日源頼朝下文に石清水八幡宮領「呉(くれ)保(ほう)」として現れます。

 江戸期には、安芸郡宮原村沿岸部で定期的に市が催されたことから、「呉町」と称されるようになりました。

 明治19(1886)年に軍港指定を受けると、安芸郡宮原村呉町は軍用地として買収されました。呉の名称は鎮守府の名称となり、同35(1902)年10月1日、宮原村、荘(しょう)山田(やまだ)村、和庄(わしょう)町、二川(ふたかわ)町(吉浦(よしうら)村のうち川原石(かわらいし)と両城(りょうじょう)地区を分離して成立)が合併して呉市が誕生しました。

 昭和3(1928)年になると、警固屋(けごや)町、吉浦(よしうら)町、阿賀(あが)町を、同16(1941)年には仁方(にがた)町、広(ひろ)村を編入。同31(1956)年に天応(てんのう)町、昭和(しょうわ)村、郷原(ごうはら)村を、平成15(2003)年には下蒲刈(しもかまがり)町、翌年に川尻(かわじり)町、翌々年に音戸(おんど)町、倉橋(くらはし)町、蒲刈(かまがり)町、安浦(やすうら)町、豊浜(とよはま)町、豊(ゆたか)町を編入して、瀬戸内海の島嶼部を含む、総面積約350㎢、人口約25万人規模の市となりました。

■主な展示資料

    • 「安芸郡図」(複製)(澤原家文書)※呉市指定文化財
    • 「賀茂郡図」(手島家文書)
    • 「芸備浦島図」(宮尾家文書、寄託)
    • 「先觸(伊能勘解由浦島測量)」(手島家文書)
    • 「浦島測量図」(宮尾家文書、寄託)(7月7日~8月28日の間は現物展示)※呉市指定文化財
    • 「御手洗測量図」(呉市文化スポーツ部文化振興課、複製)※呉市指定文化財
    • 「二河瀧図」(青盛家文書)※呉市指定文化財

■会期

2022年7月7日(木) から 2023年1月16日(月)
 

■展示会場

大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館) 2階特別展示ギャラリー
〒737-0029 広島県呉市宝町5-20 TEL 0823-25-3047

 

ミニ企画展 呉の歴史