A.呉の歴史 THE HISTORY OF KURE
明治22(1889)年に呉鎮守府、明治36(1903)年には呉海軍工廠が設置され、戦前は戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠の街として栄えました。
戦後には、戦前から培われてきた技術が新しい技術と結びつき、世界最大のタンカーを数多く建造する有数の臨海工業都市として発展してきました。
海軍整備の時代
> 呉鎮守府の開庁
ペリー艦隊来航をきっかけに、200年以上続いた徳川幕府による鎖国政策は終わります。西欧列強の著しく発達した造船技術を目にした日本は、強い危機感を抱きました。
そこで西洋型の進んだ船の建造・運用技術を導入するため海軍を創り、その拠点として鎮守府を国内4ヶ所内に設置しました。
技術習得の時代
軍縮期、産業の合理化
航空機技術の開発・生産
呉と太平洋戦争
> 戦時下の市民生活・呉空襲
戦局の悪化とともに、食糧不足に悩まされるようにもなり、一般市民の生活は戦争一色となりました。
日本最大の海軍工廠があった呉は、アメリカ軍の空襲の標的となり、14回にもおよぶ空襲を受け、うち6回は特に激しいものでした。
平和産業港湾都市としての再生
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