「大和ミュージアム」は、リニューアル工事のため休館中です。2026年4月23日(木)にリニューアルオープンいたします。2026年3月末までは、「大和ミュージアムサテライト」(場所:ビューポートくれ/呉市中通1丁目1-2)にて展示を行っております。
こちらはリニューアル後の大和ミュージアムのフロアガイドです
A.呉の歴史 THE HISTORY OF KURE

明治22(1889)年に呉鎮守府、明治36(1903)年には呉海軍工廠が設置され、戦前は戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠の街として栄えました。
戦後には、戦前から培われてきた技術が新しい技術と結びつき、世界最大のタンカーを数多く建造する有数の臨海工業都市として発展してきました。
海軍整備の時代
> 呉鎮守府の開庁

ペリー艦隊来航をきっかけに、200年以上続いた徳川幕府による鎖国政策は終わります。西欧列強の著しく発達した造船技術を目にした日本は、強い危機感を抱きました。
そこで西洋型の進んだ船の建造・運用技術を導入するため海軍を創り、その拠点として鎮守府を国内4ヶ所内に設置しました。
技術習得の時代
> 呉海軍工廠の設立

建造の国産化のために呉海軍工廠が設立され、呉のまちは日本一の技術を支える工員や水兵たちで賑わいました。
> 大戦景気と呉海軍工廠
海軍拡張にともなう技術の進歩に加え、大戦景気によって呉のまちは好景気にわきたちました。
軍縮期、産業の合理化
> 生産と管理の合理化

軍縮をきっかけに質の高い造船技術の開発が進められ、同時にそれを支える人材育成もはかられました。
航空機技術の開発・生産
> 広海軍工廠と第11海軍航空廠

呉海軍工廠の支部としておかれた広支廠が広海軍工廠として独立し、第11海軍航空廠となりました。
呉と太平洋戦争

太平洋戦争が始まると、日本の艦艇の建造・修理をになう呉海軍工廠の役割は、ますます大きなものとなり、やがて繁忙をきわめるようになっていきます。
> 戦時下の市民生活・呉空襲

戦局の悪化とともに、食糧不足に悩まされるようにもなり、一般市民の生活は戦争一色となりました。
日本最大の海軍工廠があった呉は、アメリカ軍の空襲の標的となり、14回にもおよぶ空襲を受け、うち6回は特に激しいものでした。
> 呉と原爆

広島に原子爆弾が投下され、呉からもキノコ雲が確認されました。呉からは救援隊や調査団が派遣され、調査団は日本で最初に原子爆弾の存在を確認しました。
平和産業港湾都市としての再生
空襲などにより荒廃した呉市は、戦後、平和産業港湾都市としての復興をめざし、世界的な造船のまちとして名を馳せ、科学、技術、製造、文化など多方面での発展をみました。
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A.呉の歴史 THE HISTORY OF KURE
(イメージ)
明治22(1889)年に呉鎮守府、明治36(1903)年には呉海軍工廠が設置され、戦前は戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠の街として栄えました。
戦後には、戦前から培われてきた技術が新しい技術と結びつき、世界最大のタンカーを数多く建造する有数の臨海工業都市として発展してきました。
海軍整備の時代
> 呉鎮守府の開庁
(イメージ)
ペリー艦隊来航をきっかけに、200年以上続いた徳川幕府による鎖国政策は終わります。西欧列強の著しく発達した造船技術を目にした日本は、強い危機感を抱きました。
そこで西洋型の進んだ船の建造・運用技術を導入するため海軍を創り、その拠点として鎮守府を国内4ヶ所に配置しました。
技術習得の時代
> 呉海軍工廠の設立
(イメージ)
建造の国産化のために呉海軍工廠が設立され、呉のまちは日本一の技術を支える工員や水兵たちで賑わいました。
海軍拡張にともなう技術の進歩に加え、大戦景気によって呉のまちは好景気にわきたちました。
軍縮期、産業の合理化
> 生産と管理の合理化
(イメージ)
軍縮をきっかけに質の高い造船技術の開発が進められ、同時にそれを支える人材の育成もはかられました。
航空機技術の開発・生産
> 広海軍工廠と第11海軍航空廠
(イメージ)
呉海軍工廠の支部としておかれた広支廠が広海軍工廠として独立し、第11海軍航空廠となりました。
呉と太平洋戦争
> 軍港都市・呉
(イメージ) 太平洋戦争が始まると、日本の艦船の建造・修理をになう呉海軍工廠の役割は、ますます大きなものとなり、やがて繁忙をきわめるようになっていきます。
> 戦時下の市民生活・呉空襲
(イメージ)
戦局の悪化とともに、食糧不足に悩まされるようにもなり、一般市民の生活は戦争一色となりました。
日本最大の海軍工廠があった呉は、アメリカ軍の空襲の標的となり14回にもおよぶ空襲を受け、うち6回は特に激しいものでした。
平和産業港湾都市としての再生
> 戦後復興と呉
(イメージ) 空襲などにより荒廃した呉市は、戦後、平和産業港湾都市としての復興をめざし、世界的な造船のまちとして名を馳せ、科学、技術、製造、文化など多方面での発展をみました。
> 戦艦「大和」の現在
(イメージ)
昭和60(1985)年「海の墓標委員会」、平成11(1999)年「大和プロジェクト’99」(全国朝日放送㈱)の2回にわたる潜水調査・一部遺品の引き揚げにより、「大和」の最期を知る多くの手がかりが得られました。
これらの調査は、半ば伝説とされてきた過去の戦艦「大和」と、それにかかわった人々の生きざまを現在に生きる私たちに伝えてくれる貴重な架け橋となりました。