「大和ミュージアム」は、リニューアル工事のため休館中です。2026年4月23日(木)にリニューアルオープンいたします。2026年3月末までは、「大和ミュージアムサテライト」(場所:ビューポートくれ/呉市中通1丁目1-2)にて展示を行っております。
こちらはリニューアル後の大和ミュージアムのフロアガイドです
A.呉の歴史 THE HISTORY OF KURE 戦艦「大和」

技術の結晶戦艦「大和」
軍縮期に設定された艦艇の保有・建造制限に対応するために高められた技術の集大成として戦艦「大和」が設計されました。
> 「大和」の建造

「大和」型戦艦は構造がきわめて複雑で、予定通りに工事を完成させるには緻密な計画が必要でした。
また、機密保持も工廠の設備から市民生活にいたるまであらゆる面で徹底され、細心の注意が払われました。
> 「大和」の技術

「大和」は、国力面におけるアメリカ側の”量”的優位に対し、日本が”質”で対抗しようとした艦であり、当時の最新技術の結晶と言えるものでした。
その技術は日本の復興と高度成長を支え現代にも受け継がれています。
> 「大和」の生涯

昭和16(1941)年12月16日に竣工後、「大和」は連合艦隊旗艦として海軍作戦の指揮全般にあたりましたが、すでに主役の座は戦艦から航空機へと移っており、「大和」は支援任務が多くなります。戦争終局時には沖縄特攻作戦に出撃、最期を迎えました。
> 「大和」に乗っていた人々

乗組員たちは沖縄特攻に際し、遺書・手紙・葉書などに家族への思いを託し出撃していきました。
「大和」の現在
昭和60(1985)年「海の墓標委員会」、平成11(1999)年「大和プロジェクト’99」(全国朝日放送㈱)の2回にわたる潜水調査・一部遺品の引き揚げにより、「大和」の最期を知る多くの手がかりが得られました。
これらの調査は、半ば伝説とされてきた過去の戦艦「大和」と、それにかかわった人々の生きざまを現在に生きる私たちに伝えてくれる貴重な架け橋となりました。
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A.呉の歴史 THE HISTORY OF KURE 戦艦「大和」
(イメージ)
軍縮期に設定された艦艇の保有・建造制限に対応するために高められた技術の集大成として、戦艦「大和」が設計されました。
技術の結晶戦艦「大和」
> 「大和」の建造
(イメージ) 「大和」型戦艦は構造が極めて複雑で、予定通りに工事を完成させるには緻密な計画が必要でした。
また、機密保持も工廠の設備から市民生活にいたるまであらゆる面で徹底され、細心の注意が払われました。
「大和」は国力面におけるアメリカ側の“量”的優位に対し、日本が質で対抗しようとした艦であり、当時の最新技術の結晶と言えるものでした。その技術は日本の復興と高度成長を支え現代にも受け継がれています。
> 戦艦「大和」の生涯
(イメージ) 昭和16(1941)年12月16日に竣工後、「大和」は連合艦隊旗艦として海軍作戦の指揮全般にあたりましたが、すでに主役の座は戦艦から航空機へと移っており、「大和」は支援任務が多くなります。戦争終局時には、沖縄特攻作戦に出撃、最後を迎えました。
> 戦艦「大和」に乗艦した人々
(イメージ) 乗組員たちは沖縄特攻に際し、遺書・手紙・葉書などに家族への思いを託し出撃していきました。