以前古本の話を書きましたが、もう少し書きます。

 新刊書店と違って、古本屋には、自費出版や、役所の部内印刷物のような、一般に販売されなかった本も出ます。私は長いこと秋山真之の本を探していますが、秋山が海軍大学校の戦術教官だった時に書いた「海軍基本戦術」他の教科書を、古本屋で何冊か入手しました。基本戦術(明治40年)の一冊は、神田で軍事関係古書の専門店で有名な文華堂で入手しました。赤い表紙で極秘の指定です。暫くしてやはり軍事図書をあつかう古書店の店主が、「秋山の基本戦術がありますが、どうですか」と言うので、これも入手しました。同じ本が2冊有っても意味がないと思うかも知れませんが、そうではないのです。もしも、それが初版と再版であれば、内容に変化がある可能性が有るからです。後で購入した方は、ボロボロと言って良いほど痛んだ本でした。一応同じ表紙でしたが、やや紙が薄く、はて、と想いながら見ると、大正元年の、改訂に当たっての前書きが有ったのです。2冊を一字一字付き合わせてみると、僅かに手が入っていました。これなどは、秋山の基本的な論旨には関わりが有りませんが、異版として初めて確認出来たものです。この他に、調査の為に防衛研究書図書館所蔵の同じ基本戦術のコピーも手に入れました。

標準海語辞典

「標準海語辞典」(昭和19年、博文館)は、日本は昔から海国と言いながら、海事用語に関する良い辞典が少なく、本書は海語辞典として貴重なものです。発行部数が多かったので、今でも時折古書店で見かけます。昭和19年といえば、出版事情が悪く、殆どの本が藁半紙のような用紙であったのに、本書は非常の上質の紙が使用されていて、戦時下、海洋問題を重視して、特別の配慮があった事が伺われます。

 同じ本を何冊も買うのは無駄なようですが、こんな事もあるのです。元来私は司書なので、書誌情報の確認は特に気になるのです。困ったことに、書誌情報というものは、書名と著者名、発行年月日と発行者(出版社)だけ分かれば良いと言うわけにはいかないのです。これだけなら奥付けのコピーがあれば分かるし、図書館のデータベースを見るだけで用が済みます。しかし、もう少しデータが必要なのです。それは、誤植は訂正されているのか、正誤表はついているのか、さらに、印刷形式、使用している紙の種類、製本の形式など、可能であれば発行部数も知りたいし、カバーがあったのか、箱に入っていたのか、特製本は無いのかなどです。昔は小部数の特製本を作った例が多いのです。また、いったい何版まで発行されたのかも確認の必要があります。本というのは、初版は必ず有りますが、何版まで出たかを知るのは、とても難しいのです。特に昔の雑誌などは、最後の号を確認するのは大変です。つまり、最終的には現物を見ないと分からないのです。そのために、少なくとも自分の調査対象の本は必ず実物を確認します。個人的に興味があれば、必要なだけ買います。一番多いケースでは同じ本の版違いを確認するために、10冊近く買った本もあります。また、奥付が同じなのに装丁が違う本もあるのです。昭和19年に出版された「標準海語辞典」(海洋文化協会編、博文館)は、海語辞典としては、手堅い編纂なので、現在でも良く使いますが、なんとこの本は、同じ奥付で少なくとも3種類あるのです。クロス装、丸背カバー付きで、大きさと表紙の箔押しの色が違うものと、角背針金綴じ(南京綴じ)のものが有るのです。恐らく物資の不足した中で25000部という発行部数のために、印刷所や製本所の都合で、全部を同じ形に揃える事が出来なかっのだと思います。

吾輩ハ猫デアル

夏目漱石「吾輩ハ猫デアル」下編(明治40年)のカバー。この写真は、昭和45年ホルプ出版の復刻版ですが、オリジナルの姿を良く再現しています。

 それとは別の意味で数冊の本を買うことがあります。それは、古本屋の店頭で見た本が、自分の持っている本よりも状態が良い場合です。この場合は、価格に無理がなければ買います。読書家の中には、本は読めれば良いのだ、として、カバーや箱は不要という人も少なくありません。それは、それとして正しいのですが、私としては、本は、内容と、装幀が揃って、初めて本である。と思っているので、本来カバーのあった本はカバーも無ければ、その本の全てとは言えない。と思っているからです。たとえば夏目漱石の、「吾輩は猫である」の初版本は、橋口五葉のアールヌーボー調の瀟洒な装幀と完全にセットと言うべき作品であり、表紙を捨てて、中身だけが「吾輩は猫である」だと思う人が有れば、個人的には「それはチョット違うと想います」。と言いたい気持ちになります。

   場合によっては、帯のための紹介文などを準備した場合など、帯もまた欠かすことの出来ない本の一部なのです。このために文芸書などでは、帯のあるなしで価格が数倍違ってしまい、本体よりも帯のほうが高いのではないかと思うような本もあります。因みに帯では、零戦空戦記の古典とも言うべき、「坂井三郎空戦記録」の上下合本版(昭和31年)に付いていた帯は、極めて薄く弱い紙だったために、残っているものはほとんど無いと言って良いようです。私も古本を買うようになって50年くらいになりますが、今までに帯付きは一回しか見たことがありません。同じように、箱無しで発売された、と思っていた本が、古書店の目録に「箱付き」と出たことがありました。慌てて、箱を確認するためにその店に駆けつけたところ、元の所有者がきれいな箱を作って、本を入れていたのです。このような後から作った箱などは、「拵え箱」または「造り箱」と言って、区別するべきものですが、古本屋さんも気が付かなかったのでしょう。

   まあ、これなら良いのですが、もう一つ、私の本棚に複数の同じ本がある場合があります。ダブって買ってしまうのです。後で読もうと、良く読まないで本棚に入れてしまうと、同じ本をまた買ってしまうのです。買ってきたばかりの本を本棚に入れようとしたとき、そこに同じ本を発見すると、自分のうかつさにガッカリします。歳ですね。