室蘭の日本製鋼所 1月末に室蘭の日本製鋼所を見学させていただく機会があったので、出かけてきました。

 日本製鋼所は明治末に、海軍が八八艦隊整備を見込んで、製鋼能力の強化を図るために、英国のビッカースとアームストロングの共同出資で設立したもので、直ぐに分かるように、ビッカースは三笠以下日本の主力艦を建造した会社であり、アームストロングはこれらの主力艦他の大小の砲を作った会社です。まさに海軍のために設立された会社だったのです。

特に、大和ミュージアム正面に展示されている陸奥の主砲は室蘭で製造されたものであり、当館とも深い縁があります。

 雪に覆われた千歳から車で日本製鋼所に行きますが、まず、その規模に大きさに驚かされました。広大な敷地には現在も大きな工場が建設中で、稼動中の世界最大級の14,000トンプレスに加えて、さらに14,000トンプレスを増設するための工事と聞きました。これは大和建造のために呉工廠に設置した 15,000トンプレスと匹敵するもので、前から一度稼動している所を見たいと思っていたものです。

 まず事務所に行きましたが、ロビーに複葉の飛行機が吊ってあるのに驚きました。アレッと思って見ると、ロビーに航空エンジンが飾ってあります。説明を読むと、国産1号の航空エンジンは日本製鋼製だったとのこと、これは気がつきませんでした。実際に陸軍に20数台を収めたそうです。飛行機ファンの私としては、模型のほうも気になりましたが、聞けば、職員の方の自作とか、とても素晴らしい出来で、アマチュアのレベルではありませんでした。

 早速工場を見学させていただきましたが、そのスケールの大きさには圧倒されました。特に14,000トンプレスは、真っ赤に焼けた数百トンの鋼塊を鍛造中で(800トン位まで鍛造できるそうです)、ハンマーが落ちるたびに、巨大な工場が、ズシン・・・と地響きと共に揺れるのです。そばでハンマー操作の指揮を取っている人を、ボーシンと呼ぶそうです。私が「ボースンのなまりですね」と聞くと、「最初が海軍ですから、そうでしょうね。私たちは棒芯と書きますよ。」と教えてくれました。ボースンは、昔の海軍では掌帆長、商船では水夫長という職種で、現場のベテランの仕事です。こういった海軍ゆかりの職名がまだ生きているところに、歴史の長い会社であることを感じました。次に圧延作業を見ましたが、この圧延機は、昭和16年に設置されたものということですが、今でもそのまま使用されていました。

 工場見学の後に、鍛刀所に案内されました。鋼の技術のルーツは日本刀の技術にあるということで、戦前から所内に鍛刀所を設けて、刀工が今でも年間 10振りほどの日本刀を鍛えています。私は大学で彫刻を専攻していたので、石彫の時は、自分の鑿は自分でアトリエの隅の鍛冶場で石鑿の焼入れをした事があるので、特に興味深く見学できました。

 昼食は、日本製鋼所の迎賓館とも言うべき瑞泉閣で頂きました。開所間もないころ、大正天皇の行幸にあわせて建設されたという由緒ある建物です。

 内容の濃い見学をさせていただき、感激ひとしおで工場を出て、次には、登別温泉に行って、積もった雪を見ながら露天風呂で冬の北海道を楽しみました。明治時代には原野といってよかった室蘭に、巨大な工場を建設したのは、この温泉があったからかな?とか、無責任な想像をしました。

 帰りの飛行機で、しみじみ、技術の背景には、長い歴史と伝統があるのだなあ。と感じました。ただ、歴史と伝統だけでは、物は作れません。歴史と伝統は、「物作りの歴史と伝統」であって、初めて意味を持つのです。この意味で、現在も、日本の物作りの伝統は、しっかりと受け継がれていると感じ、安心しました。現在世界的な不況の中で産業界は困難な状況にあるのですが、どのような状況にあっても、景気が悪いから、物作りの腕前が落ちる・・、と言うことは無いのですから。

 今回の見学に当たっては、日本製鋼特別顧問の水口英樹様、佐藤育男取締役他、多くの方にお世話になりました。ありがとう御座いました。