去年の12月はたまたま、パールハーバーでの開戦67年記念追悼式に参加することになり、時間をやりくりして出席しました。12月に入ると、私は真っ先に8日を思い出します。太平洋戦争の始まった日で、言うまでも無く真珠湾攻撃の日です。いつも思うのは、当時の日本には他の選択肢は無かったのだろうか・・?という疑問です。

アリゾナメモリアル 12月7日(日本時間で8日です)、当日は快晴でした。場所は戦艦アリゾナの沈没した船体の上に設置されたアリゾナメモリアルを正面に見る米軍基地内です。ここに2000脚ほどの椅子が用意され、満艦飾に使う軍艦の信号旗が張り巡らされていました。当時真珠湾で撃沈された軍艦の生存者が最前列に並び、関係者が次々にスピーチを行いました。ドーリットル隊の生存者が演壇に上がった時は、はて、と思いましたが、アメリカでは機動部隊の真珠湾奇襲とドーリットルの東京奇襲がいつもセットで語られることを思い出しました。これが無ければ、真珠湾の悲劇は、アメリカにとって、ただ負けただけの話になってしまうからです。

 大和ミュージアムの館長としては、目の前の沈んだままの戦艦アリゾナのすぐ左側に、戦艦ミズーリが係留されて保存公開されていることに感心しました。アリゾナは真珠湾奇襲と日米開戦のシンボルです。そして、ミズーリは東京湾での日本の降伏調印式を行った、文字通り終戦のシンボルなのです。この、開戦と終戦を代表する2隻の戦艦を並べたアメリカ海軍の、「博物館的センス」は一流のものと思いました。(実現できる力が凄い)
昼前に式典は終わり、参列者は海軍の交通艇でアリゾナメモリアルに向かいました、陸からは行けないのです。今も薄く重油の浮き出すアリゾナの姿からは戦争の悲惨さを思うことが出来ます。ここでは慰霊祭が行われました。見上げると半旗にされたアメリカ国旗が俯いていました。

戦艦ミズーリ 一旦基地に戻り、隣接の潜水艦博物館と、フォード島内にある戦艦ミズーリと、航空博物館に行きました。潜水艦博物館の中庭には、回天4型が展示されています。私は以前ワシントンに行った時にワシントン海軍工廠の敷地内に展示してあった4型を見たことが有りますが、その後移されています。ここの4型は別のものだそうです。

 丁寧に塗装されていて、保存状態は良いようでした。航空博物館には零戦が空母の甲板で出撃準備中といった雰囲気をイメージした形で展示してありました。どこもコンパクトながら、充実した展示に感心すると同時に、大和ミュージアムも負けないように頑張らなくては・・。と思ったものです。ミズーリは感激しました。実は、私は第2次世界大戦型の戦艦に乗るのは初めてで、スケール的に大和に近いミズーリの甲板を歩きながら、大和は是よりも一回り大きいのか、と、雄大な大和の姿を思いました。

 今回は、いろいろ思うことがありましたが、やはり、戦争の無意味さを改めて思いました。大和ミュージアムも、技術の素晴らしさと、戦争の無意味さ悲惨さを更に伝えてゆきたいと思います。人間の知恵が、技術の発達ばかりに使われるものではないことを願いたいものです。