8月になりました。早いものです。
この時期になると、自然に8月の終戦記念日が思い浮かびます。来年は終戦から80年を迎えることを思うと、いわゆる団塊世代の私としては、何とも言えない感慨があります。
さて、大分県の宇佐神宮のある宇佐市には、昭和15年から終戦まで海軍航空隊があり、その場所には史跡となっている戦闘機用の掩体壕(城井1号掩体壕)があります。だいぶ前のことですが、機会が有って見学に行きました。掩体壕は周囲の土地が戦後整地されて、やや高くなっているために、建設当時よりは少し埋もれたような状態ですが、綺麗に原形が保存されていて貴重な戦争遺構だと思いました。
近くには、同地から出撃した特攻隊を見送った人たちをイメージした石柱が並んでいます。
其の石柱は句碑となっていて、1本ごとに戦争を悼み、平和を祈念する俳句が刻まれているのですが、中に、
「八月や六日九日十五日」
という句が刻まれている碑が有るのを見て、心臓が苦しくなるような圧迫感を覚えました。
太平洋戦争の無残な姿と平和への回復の第一歩を、これほど簡潔に象徴的に表した言葉は多くは無いでしょう。辛いとも哀しいとも嬉しいとも、何も書かずに日付だけが書かれたこの句を読んで、並べられた文字だけで人の心に衝撃を与えることが出来るのだ、ということを改めて感じました。
夏が近づくと、いつもこの句を思い起こしていましたが、8月の原子爆弾と終戦という歴史は多くの日本人にとって印象深いことから、類似の句もあったようで、その後俳人である小林良作氏が、最初にこの句を詠んだ人物を探し求めて、宇佐にあるこの句碑と作者に辿り着くまでを俳句雑誌「鴻」に連載し、その後小冊子にまとめて発行されたものを頂く機会がありました。
結局、作者は海軍兵学校最後の卒業生となった75期卒業の諌見勝則氏であることが確認されたのです。
一つの俳句を巡って、作者を尋ねる経緯は興味深いものです。
いつか、明るく楽しく幸せな日付のみを並べただけで、だれもが、ああ、なるほど・・と共感できるような俳句を読んでみたいと思っています。