何時になったら収まるのか、関東圏を中心とした新型コロナウイルス感染拡大の波は大きな振幅を繰りかえしながら、もう一年半になります。そのような中ですが、呉市は、市民の対応の努力もあり、何とか感染の大きな拡大を押さえて頑張っています。
大和ミュージアムも、来館者の検温、手などの消毒殺菌、来館者同士の集中を避けて、大きな間隔で見学して頂く、など、可能な限りの注意を払いながら、開館をしています。
このような中ですが、この夏からの企画展の準備が出来たことをお知らせしたいと思います。
今回の企画展、『竣工80年 戦艦「大和」と呉軍港』は、幕末から明治初期にかけて、静かで小さな農漁村であると同時に瀬戸内海の海運を支える港でもあった呉村が、明治維新の波の中で海軍と技術の町に急速に変貌してゆく様子を見ていただくために、珍しい地図や海図と、関連資料を集めた企画展です。
小さな村が、わずか2~30年で東洋有数の海軍と造船の町になり、さらに30数年で世界有数の建造能力を持った海軍工廠を中心とした工業の町となるという、驚異的な地域の発展を見ていただきたいと思います。
この呉を中心とした周辺地域の変貌は、日本そのものの変貌のサンプルであり、大きな成功事例でもあったのです。しかし、このような急速な発展も、戦争の中で破壊される運命を免れることは出来ませんでした。それでも、呉とその技術の町としての力は、平和の中で、かつての明治からの発展を更に超える大きな回復と発展を成し遂げ、現在に至っているのです。
呉の発展と挫折、そして再びの復活の姿は、これもまた日本の戦後復興と重なり合う姿として見ることが出来ます。
技術の発達に対応するために巨大化してゆく造船ドックの変化など、技術が地域の景観に直接関わる要素であることが理解できます。これら展示資料の一つ一つを丁寧に見てゆくことで、見る人それぞれの感慨が生まれるのではないでしょうか。
今回の展示資料の中には、戦艦大和が竣工したときに、海軍大臣が昭和天皇に献上するために作成した、戦艦大和の模型を、当時撮影された数点の写真を解析して3Dデータを作り、再現した模型を展示してあります。
40年近く昔のことですが、この模型を持って海軍大臣と同行した牧野茂技術大佐(戦艦大和建造当時、呉海軍工廠で戦艦大和の設計主任でした)に、この模型のことを聞いたことが有りますが、牧野氏は、この時は、同時に大和の主砲発射公試の写真をお目に掛けるために持って行った、本来献上するものであるから、陛下のお手元に置いて帰るのが普通なのだが、大和の機密保持のこともあり、持ち返って艦政本部の金庫に納めた。と言われたので、「その模型はどうなったのですか?」と聞くと、「終戦時に焼却した。」と言われてがっかりした記憶があります。
この模型の写真は、福井静夫先生が保管していたものが大和ミュージアムに収蔵されているので、これを元に復元したものです。
話は戻りますが、今回の企画展で、このような呉の発展の歴史を知ることは、単に過去を知ることではありません。この発展を引き継いでいる私たちが、先人の努力に負けない努力をして、この発展の歴史を明日へつながなければならないと思います。今回の企画展が、呉市の今後のさらに大きく新しい発展を達成するためのきっかけにして頂きたいと思っています。