この令和3年1月12日、大和ミュージアム名誉館長である半藤一利様がお亡くなりになりました。

90歳でした。半藤様から頂いた多くのご指導を思い、深くご冥福をお祈りいたします。

半藤様、半藤様では書きにくいので、いつものように失礼して半藤さんと言わせていただきます。

半藤さんにお目に掛かるようになったのは1980年頃ですから、もう40年にもなります。私が㈶史料調査会の司書として勤務していたころ、中央公論社の雑誌「歴史と人物」編集長だった横山恵一さんに紹介されたと記憶します。以後、海軍関係の資料調査などを頼まれるように、こちらもいろいろ話を聞いたりしていました。当時横山さんは「歴史と人物」で太平洋戦争の歴史に関する増刊号を纏める企画があり、私も手伝うことになったのですが、企画の主なメンバーは、半藤一利さん、秦郁彦さん、横山恵一さんで、アルバイトのような形で私と大木毅さん(岩波新書のベストセラー「独ソ戦」の著者です)が手伝っていました。

この増刊シリーズは後に別冊の形になり、6年かけて10冊出ましたが、どれも直接関係者の手記を中心としたもので、今となっては本当に貴重な資料集と言っても良いような本です。

この増刊号の企画会議のような集まりがしばしば銀座のバーで行われていましたが、しばらくして半藤さんの発案で、平成4年に「歴史探偵団」という歴史に関わる雑談をしながら一杯飲むという会が結成されました。半藤さんが団長、私が事務局長(今は他のメンバーにお願いしています)として連絡事務などをするようになりました。以来、団員は半藤さんを「団長」と呼んでいます。

この「歴史探偵団」はその後、保坂正康さんなどがメンバーに加わり、結局6名ほどで、時折ゲストを招待するというスタイルでした。一昨年暮れに半藤さんがお怪我で出席できなくなるまで、実に30年近くに渡りほとんど毎月開催されました。数えれば350回近いことになります。

無論中心は半藤さんで、いつもどんな話題でも面白く盛り上がる会でした。半藤さんと秦さん、保坂さんは、昭和史、軍事史に関しては超の付く研究者で、陸海軍大将から最前線で戦った兵士まで、無数の聞き取りを経験した人たちですから、その話は驚くような裏話であふれていました。若い私などは、横で、へーそうだったんですか・・と驚くばかりでした。

個人的にも、半藤さんが現役のころなどは時々お目に掛かると「おめー、これからちょっと飲みに行くけど行くかー」と誘って頂き、遠慮なくいろいろご馳走になりました。私には「おめー」で、よそで私の話が出ると、聞いたところでは「あの野郎」だったそうです。

半藤さんを名誉館長にお願いしたい、という話が出た時は、私がお願いに行きましたが、知った人には返って言い出しにくいものでした。何とか話を切り出すと、「そりゃ呉は良く知ってるけど、俺は歳だからよー、面倒なことは嫌だよ」とにべもないのです。まさかここで素直に諦めるわけにもいかず、いやいや、ご無理なことはお願いしませんよ、それに時たま来ていただければ、呉は良いですよ、酒と魚がとても美味しいですよ。と粘っていると、根負けしたのか「おめーがそう言うんなら、まあいいよ」と、やっと受けて頂いたのも懐かしい思い出です。海軍の歴史と日本の軍艦が大好きだった半藤さんは、本心は結構喜んでいて、時々ニヤリとしながら「俺は呉の大和の名誉館長だぜ」と嬉しそうに言ったりしていました。

一昨年、私が第67回の菊池寛賞を頂いたときには、後で「良かったなー」と声を掛けられました。

平成27年に開催した大和ミュージアム開館10周年記念シンポジウム「終戦70年を語り継ぐ」では、五百旗頭真先生、池上彰先生とともに半藤さんにもご参加いただき、いろいろな場所で、最高の顔ぶれですね、と言われたものです。そして非常に有意義な結果となったことも良い思い出です。

いつもお元気だった半藤さんでしたが、一昨年ちょっとした弾みに転んで骨折し、長くリハビリに励んでいました。お見舞いに行くと「リハビリが結構大変で、やんなっちゃうよ」とぼやいていましたが、いつものお元気な表情でした。今思えば江戸っ子の半藤さんらしい見栄を張って痛いのを隠していたのだろうなあ、と思ったりします。そんな様子に安心していたので、今回の突然の知らせはショックでした。本当に貴重な方を失った思いです。

半藤さんは、昭和の日本がどのような誤りから戦争に向かってしまったのか、という問題意識を常に持って日本の将来が道を誤らないことを願っていました。

中学生の時に東京大空襲で生死の境をさまよった経験が、半藤さんの平和への強い思いの根底にあったのだと感じました。

私は今、大和ミュージアムの館長という責任ある仕事をさせて頂いていますが、これからも半藤さんを始め、多くの方から受けた教えを大切にしながら、大和ミュージアムが平和の大切さを次の世代に伝えて行く場として多くの若い世代の人に見て頂けるように、職員、ボランティアの方々、そして呉の皆様とともに頑張ってゆきたいと思っています。