巨大戦艦「大和」の残したメッセージ 『歴史を 未来へ』

1F A.呉の歴史 戦艦「大和」

大和ミュージアム1階

A.呉の歴史 THE HISTORY OF KURE 戦艦「大和」

技術の結晶戦艦「大和」技術の結晶戦艦「大和」

軍縮期に設定された艦艇の保有・建造制限に対応するために高められた技術の集大成として戦艦「大和」が設計されました。

大屋根取付工事中の造船船渠> 「大和」の建造

「大和」型戦艦は構造がきわめて複雑で、予定通りに工事を完成させるには緻密な計画が必要でした。
また、機密保持も工廠の設備から市民生活にいたるまであらゆる面で徹底され、細心の注意が払われました。

主砲模型> 「大和」の技術

「大和」は、国力面におけるアメリカ側の”量”的優位に対し、日本が”質”で対抗しようとした艦であり、当時の最新技術の結晶と言えるものでした。

その技術は日本の復興と高度成長を支え現代にも受け継がれています。

模型>「大和」の生涯

昭和16(1941)年12月16日に竣工後、「大和」は連合艦隊旗艦として海軍作戦の指揮全般にあたりましたが、すでに主役の座は戦艦から航空機へと移っており、「大和」は支援任務が多くなります。戦争終局時には沖縄特攻作戦に出撃、最期を迎えました。

大和に乗っていた人々>「大和」に乗っていた人々

乗組員たちは沖縄特攻に際し、遺書・手紙・葉書などに家族への思いを託し出撃していきました。

沈没位置「大和」の現在

昭和60(1985)年「海の墓標委員会」、平成11(1999)年「大和プロジェクト’99」(全国朝日放送㈱)の2回にわたる潜水調査・一部遺品の引き揚げにより、「大和」の最期を知る多くの手がかりが得られました。

これらの調査は、半ば伝説とされてきた過去の戦艦「大和」と、それにかかわった人々の生きざまを現在に生きる私たちに伝えてくれる貴重な架け橋となりました。

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