前回、大和はサッパリ分からない。と言う話をしましたが、歴史は分からないことの方が多いのです。そう思えば少しは気が楽で、では、少し調べよう、と言うことになるわけです。

 大和ばかりではないのですが、調べるのが難しいものに、色彩があります。色彩は言葉では伝わりません。また、本物の一部があっても、塗料は劣化しているので、新しいときの色と同じとは言えません。カラー写真が有っても、全然違う色調だったりすることは、良くあることです。

 因みに、日本海軍の艦艇でカラー写真があるのは、米軍撮影の戦中のものか、終戦後のものですが、私の知っている限りでは、一枚だけカラー写真が発表されています。戦時中の「科学朝日」に停泊中の潜水艦をカラーフィルムで撮影したものが掲載されているのですが、せっかくのカラー撮影にも拘わらず、殆ど逆光であるために、黒っぽい写真で残念でした。昭和15年頃にはカラーフィルムが有ったので、或いは今後戦時中の艦艇のカラー写真が発見されるかも知れません。

 こんな時に案外に役に立つのが、絵なのです。外国では無数の海洋画が残されていますし、日本でも日清日露戦争当時までは、大きな事件は錦絵になったものです。当時の軍艦の絵の中には、上手い下手はありますが、なるほど、というような作品がかなりあります。多くの人が現物を見ている時代ですから、そんなにでたらめな色彩で描くことは余り無いと思います。これは太平洋戦争の頃も同様で、従軍画家の描いた絵には、貴重な情報があるものです。特に作品ではなく心覚えに描いたスケッチなどには、素晴らしい記録画があります。こういった周辺資料の収集も重要なことと思っています。

英国戦艦 リベンジ

「戦艦三笠とほぼ同時代の英国戦艦リベンジ。 黒い船体と白い上部構造物、煙突が黄色の強い黄土色で、 マストの先端が焦げ茶に塗られていることが分かる。」

 色彩資料と言えば、戦時中の航空母艦の迷彩塗装の図面に、カラーチップが貼附されているケースがありました。これなどは、文字通り色彩資料と言って良いと思います。

 もう一つ、文献では絶対に分からない情報、それは人の顔です。どんなに才能のある作家が文章で表現しても、山本五十六大将の顔を文字で正しく伝えることは困難でしょう。しかし、これは写真があれば、即座に解決するのです。しかし、これもまた簡単ではありません。写真が有っても、その人物が間違いなく山本五十六大将とするには、複数の写真を集めて互いに確認しなければ確実とは言えません。以前アメリカの本で、山本五十六大将の所に、山本英輔大将の顔写真が入っているのを見たことがあります。

 こういった、映像でしか伝えられないものもあるので、写真は重要な歴史資料と言うことが出来るのです。

 しかし、写真には弱点もあります。写真は動きの中の一瞬を切り取っているので、静止した一枚の画像が、その次にどのように動いたのか、と言うような「状況」は分からないのです。海に溺れた人に手をさしのべている写真があっても、それはこれから助けようとしているのか、或いは救助に失敗して、流れ去るところなのか分からないのです。このために、写真は、どのような流れの中のどのような瞬間を写したものか調べる必要があるのです。単に良いアングルの写真だなあ、と言うような鑑賞では済まないのが、資料館の写真資料なのです。(では、大和ミュージアムの写真は、全て完全に考証が出来ているのかと言えば、まだ充分には手が付いていないのが現状です。しかし、総数10万枚を越える、内外の軍艦写真コレクションの整理は、牛歩ではありますが、進んではいます。)

 さて、色彩や人物写真資料は、なかなかの難物であるという話から、写真資料に行きましたが、次回は、写真の考証について、少し書いてみます。