日本の歴史資料、特に太平洋戦争期に関わる資料については、なかなか収集調査が難しい面があります。それは終戦時に大量の資料を焼いてしまったからです。呉海軍工廠でも、資料を焼く煙は一週間も絶えなかったと聞きました。この時、明治以来の軍艦建造の資料や写真の99%近くが灰になったのです。今の私たちの頭で考えれば、何も明治以来の技術資料を焼くことはないと思うのですが、当時の混乱は、そんな落ち着いた状況ではなかったのでしょう。

 では、何もかもが無くなったのかと言えば、そうでもないのです。各地にあった海軍工廠の分工場や、横浜や長野県にあった、海軍省の疎開倉庫にはかなりの焼残しの資料が残ったのです。舞鶴や横須賀の海軍工廠の図庫もかなり焼け残ったようでした。アメリカは、これら焼け残った資料をアメリカに運び調査したのです。これら資料は昭和30年代に殆どが日本政府に返還されましたが、一部はアメリカに残り、現在多くは、アメリカ国立公文書館に保存されています。また、アメリカ陸海軍を含め、あらゆる政府機関の記録も、原則的に殆どが、ここに保存されているのです。ちなみに、アメリカ海軍が記録用に撮影した太平洋戦争関連の写真は、数十万枚という莫大な数が保存されています。

 と言うわけで、若い頃から、日本海軍の資料を調査するときに、一度は足を運ばなければならないと思っていました。そんなとき、機会があって念願の公文書館行きが決まったのです。1980年のことです。もう30年も前になります。この初めての調査旅行について少し書いてみます。私も32歳で元気でした。

国立公文書館本館

ワシントン中心部にある国立公文書館本館。ギリシャの神殿のような造りである。

 ワシントンに着いたのは11月下旬、非常に寒く、帽子を被らないと頭痛がしたものです。翌日早速公文書館に行きましたが、まず研究者登録をするので一苦労、次いで日本資料の専門家である、ジョン・テイラーさんに会いました。テイラーさんからは、丁寧な説明を受け、あちこちに紹介状を書いて貰いました。次いで、写真の保管部署に連れて行って貰いました。各ドアの鍵はオートロックで、閉めるとそのまま施錠され、いちいち鍵で開けて進むのです。写真部は、建物の最上階、細かな索引のシステムを聞いていると面倒なので、私は日本の図書館員だ。と言うと、なんだ、君は図書館のプロか、それなら自由に収蔵庫に入って良いよ。と言われました。今では考えられないことです。収蔵庫には8×10インチ(A4版位)にプリントされた写真を貼った台紙100枚位を入れた、ボール紙のケースが1万箱以上!100万枚以上の写真が並んでいます。昼食に出るのが惜しくて、数日昼抜きで朝から夕方まで写真を調べました。そして、当時日本では見ることの出来なかった日本軍艦の写真を数十枚入手出来ました。その後で、ペンタゴンの中にある広報部門に行き、太平洋戦争中の記録写真数百枚を入手出来ました。

 この旅行で忘れられない事があります。ワシントンの帰りにニューヨークに行ったのですが、もう12月に入り、街角には、そろそろサンタクロースがうろつく季節です。私は真っ先にニューヨークの現代美術館を見に行きました。当時は1階のフロアーから2階への階段を上がる空間に、カルダーのモビールが吊ってあり、2階へ上がった所の壁に、巨大なピカソのゲルニカが無造作に立てかけてありました。この作品見たさに行ったのですが、何とも言えない迫力を受けたものです。平和への思いというものは、人それぞれにありますが、黒々とした画面に、ピカソの思いが凝縮しているような気がしました。次いで、セントラルパークの森から見える高級マンションを眺めて、ビートルズ・ファンだった私は、あの辺にジョンンレノンが住んでいるのだ。と思ったものです。帰国して数日後、ジョンンレノンが自宅マンション前で射殺されたニュースがありました。数日前のニューヨークの景色を思い、暗然としたことを記憶しています。

 こうして、辛うじて初めてのアメリカ国立公文書館の調査旅行は終わりました。充分とは言えない成果ではありましたが、どのような資料が、どのように保存されているかを知っただけで、私自身にとっては大きな成果でした。以後数年おきに調査に行く機会があり、今までにかれこれ10回くらいは行っていますが、行くたびに全く新しい発見があり、毎回興奮しながら資料のボックスを開けたものです。途中資料が増えたために、公文書館の近現代に関わる資料は、ワシントン郊外のカレッジパークに建設された新しい建物に移ったのですが、この時、少々混乱が生じ、旧館時代に有った資料の一部に、所在不明になった物があるようです。無くなったわけではないと思うので、整理が進めば出てくると思っています。

 また、資料調査のために、ノーフォークのマッカーサーメモリアルや、ニューヨークの映画博物館に行ったのも、楽しい思い出です。でも、よく考えると、行ったのは、資料館、美術館と書店だけで、普通の観光を殆どしていません。でも、私にとって、一番楽しい場所だけに行くのですから、やはり楽しい旅なのです。

国立公文書館新館

新設された国立公文書館新館。ガラス張りの所が閲覧室になっている。

 最後に、一昨年ワシントンに行ったとき、市内の公文書館本館の横を、資料調査の専門家で、私もよくお世話になる切石さんと歩いていると、前から老人が歩いてきました、見ると、私が初めて公文書館に行ったときに、親切にいろいろな人を紹介していただき、その後も何度もアドバイスを頂いたテイラーさんです。30年前に会ったときも、既に老人(と思った)でしたが、30年後も相変わらずの老人です。87歳とか聞きました。10年以上会っていなかったので、テイラーさん、戸高ですが、覚えていますか?と聞くと、済まなそうな顔をして、日本人は沢山来るので、申し訳ないが良く覚えていない。と言いながらも、ニコニコと握手してくれました。今でも時々調べものに来るのだ、と言っていました。せっかくなので記念に一枚スナップを写しましたが、昨年、テイラーさんが亡くなったとの知らせを貰いました。アメリカ国立公文書館で日本関係の資料を調査した日本人で、テイラーさんに世話にならなかった人は居ないのではないか、と言われるほどの人でした。思わず、初めて会ったときの、両手の人差し指だけで、ポツポツと骨董品のような旧式タイプライターを打つ姿を思い出しました。ご冥福を祈ります。