この11月29日、大和ミュージアムの設立にあたり、発起人代表をして頂いた、中曽根康弘元総理大臣が亡くなられました。101歳でした。
中曽根先生は、ご自身が海軍主計少佐であったという経歴もあり、海軍の歴史には深い思いがあり、大和ミュージアムには大変協力的で、発起人をお引き受け頂いた他、開館式典にご参加の上、特別講演もして頂きました。
開館日当日、式典の間が40分ほど空いたのを幸い、先生から海軍時代のお話を聞かせてもらおうと思っていると、先生は、ご自身の話よりも大和ミュージアムの将来の姿の方に興味を持たれて、いろいろお話をして頂きました。後日、私宛の署名の入った、先生の政治家としての心境を詠んだ「暮れてなお 命の限り 蝉しぐれ」の句を表題にしたご著書、「命の限り蝉しぐれ」を送って頂きました。
また、先生は太平洋戦争開戦前に巡洋艦青葉の主計士官として乗り組んでいましたが、私が史料調査会に勤務していた時の関野英夫会長が、第六戦隊の参謀として同じく青葉に乗り組んでいたことから、青葉の戦友会などでお会いしたことがあると話していました。先生の、このような青葉との縁から青葉終焉の地である警固屋に青葉の慰霊碑を建設する際は、慰霊碑建立の事務局が先生に碑文を依頼し、書いていただくことになったのです。
昨年は、先生100歳の長寿をお祝いするために、新原呉市長、神津商工会議所会頭、私と、3名で中曽根事務所にお祝いのご挨拶に行きましたが、耳がやや遠い以外、大変お元気でした。しばし会談後、市長がお土産に持参した大和の模型をお渡しすると、大変嬉しそうに眺めて、「私たち若い士官はね、艦隊泊地で戦艦がいると、本当に拝むような気持で見たものですよ」と、思い出を話されたのが、印象的でした。
先生は、以前テレビのインタビューで、あまり長期政権と言うものもどうかと思う、と言うような発言をして、インタビュアーに、でも先生はずっと自民党にいるではないですか、と言われて、「自民党よりも国の方が大切だよ」と返事したのを見た記憶があります。この言葉は、先生の見識を表す言葉と思いました。毀誉褒貶の中で仕事をするのが政治家ではないでしょうか、大きな成功と同じくらいの多くの失敗を繰り返した後で、評価されるのが政治家と思います。先生の「政治家は歴史という法廷の被告である」と言う言葉が思い出されました。
改めて、大和ミュージアムの開館を大変喜んでいただいた、中曽根康弘先生のご冥福をお祈りいたします。