さて、大和ミュージアムには多数の艦船の写真がありますが、全部が基礎的なデータを完備しているわけではありません。写真は、単に挿絵的な認識であれば、画面的に迫力があったり、綺麗であったりするだけで良いのですが、歴史資料としてみたときは、いくつかの基礎的なデータが明らかでないと資料として見ることが出来ません。写真の基礎的なデータとは、

  1. 撮影されている艦船或いは他の対象物の名前
  2. 撮影日時
  3. 撮影場所
  4. 撮影者
  5. 撮影状況
  6. 過去の発表履歴

などですが、多くの場合、何も情報がないか、極めて一部の情報しかないというケースが多いのです。そこで、一枚一枚そのデータを検討するわけです。今回は、写真の情報をどのようにして調べているのか、サンプルケースを紹介してみたいと思います。

利根型巡洋艦

利根型巡洋艦

 まず、写真を見てください。これはかつて雑誌「丸スペシャル」の編集長であった故加藤辰雄氏が発掘したもので、利根型巡洋艦の姿を最も良く伝える傑作写真です。当時加藤氏からこの写真の考証と解説を依頼された私は、素晴らしい利根型の写真だな、と思いました。日本の軍艦の中で、主砲塔4基を前部に集中した艦は例がないので、型についてはすぐ分かります。しかし、艦名は不明でした。加藤氏からは、「戦艦比叡の機関科の人が撮影したのだけれど、戦時中という以外、艦名や場所日時は分からない」と言うことでした。ここで写真をゆっくり観察しました。

  1. まず、この状況は錨を上げて出港準備中です。これは錨鎖孔から海水が噴き出していることから分かります。錨を上げるときは、鎖に付いた泥を海水で洗い流し、最後は水兵が真水で絞った雑巾で鎖を拭いて錨鎖庫に納めます。従って、この写真は錨を引き揚げている最中なのです。軍艦の行動は、出港、入港の記録は残ることが多いので、出港の状況であることは重要です。
  2. 次に、この錨は右舷の錨です。錨は通常片方しか使いません、しかし、片方だけを使うと両舷の錨と鎖の痛み方に差が出るので、日本海軍では一般的に奇数月は右舷、偶数月は左舷の錨を使う習慣がありました。従って、この写真は奇数月の撮影の可能性が高いのです。
  3. 次に、艦橋トップが白く塗装されています。これは開戦直後から昭和18年夏ころまで、連合艦隊所属を表すための塗装と言われています。
  4. 次に、後檣トップに将旗が見えます。これは、この船が戦隊、ないしは艦隊の旗艦であることを示しています。写真では上部が見えませんが、下の縁が白いので、大将旗或いは中将旗です。大将は連合艦隊司令長官位ですから、まず中将旗でしょう。
  5. その下のガフには軍艦旗が掛かっています。これは、作戦や、作業などで、艦尾の旗竿に軍艦旗が掛かっていると邪魔になることが考えられる際に、ここに軍艦旗を掲げるのです。戦闘の際は、これを特に戦闘旗と呼びました。戦時中は、戦闘が無くても殆どの場合軍艦旗はここに掲げられました。
  6. 飛行機整備甲板には95水偵1機と、零式3座水偵3機が見えます。
  7. 遠方に駆逐艦が見えますが、泊地警戒のようです。
  8. 手前の構造物は、撮影者の乗っている比叡ですが、ブルワークの蔭から、かなり遠慮しながら撮影していることが分かります。艦橋の中段当たりからの撮影です。カメラの高さは基本的に水平線と同じになりますので、うっすらと見える水平線が利根型の艦橋よりも上にあるので、かなり高い場所からの撮影です。時間をかければ、比叡のどの場所から撮影したかも推定出来ます。
  9. 同時に、同じ時の出港であれば、出港準備中に機関科の人間がノンビリ写真など撮影出来るとは思えないので、この時比叡は出港準備中ではないと推定出来ます。

 さて、おおよそこれだけをチェックしてから、調査を始めます。要は、「開戦から昭和18年前半までで、旗艦任務(利根型ですから第8戦隊旗艦です)に就いていて、比叡の隣から奇数月に出港した」ことが推定されたわけです。

 まず8戦隊の旗艦がどのようになっていたかを調べます。これには旧厚生省が作成した「恩給加算年調書」という資料があります。これは全ての艦船の恩給に関わる行動を記録したもので、艦隊、戦隊、隊の旗艦についても、いつからいつまでどの船が任務に就いていたかが書かれています。これによれば、8戦隊はこの期間殆ど利根でしたので、まず利根と見ます。

 次に、比叡と同じ泊地に碇泊していた時期を調べます、これも「恩給加算年調書」と「艦船行動記録」で調べます。「艦船行動記録」は各艦船の行動年表で、やはり厚生省が作り、現在防衛研究所図書館にも所蔵されています。しかし、このような資料をチェックするのはなかなか面倒なのですが、これらの資料の要点を纏めた年表が、雑誌「丸スペシャル」に連載された行動年表です。殆どの場合、この資料で用が足ります。後に単行本となっています。製作された方は、第2復員省史実調査部、史料調査会、防衛庁と勤務し、最後は戦史室の事務官だった小山健二氏で、海軍資料に精通されていたので、行動内容は少し省略されてはいますが、かなり信頼出来ます。因みに小山氏は私の史料調査会の先輩に当たるわけなので、私が史料調査会司書に就任した時、すぐに防衛研究所図書館に挨拶に行き、以後随分お世話になりました。

 こうして詰めて行くと、この写真は、昭和17年5月27日、ミッドウエー作戦のために柱島を出撃する8戦隊旗艦利根の歴史的な姿であると言うことが、初めて分かるのです。

 何だかミステリーの謎解きのようで面白いと思いませんか。