寛仁殿下

撮影:2010年5月22日

 この6月6日、寛仁(ともひと)殿下がご逝去されました。深く、御冥福をお祈り申し上げます。

 寛仁殿下は、2010年5月22日、大和ミュージアムで開催中の特別企画展「高松宮と呉と海軍」をご覧になるために、わざわざ当館までお成り頂きましたが、今回新聞数紙から、殿下が、なぜ大和ミュージアムに来られたのか、その経緯と、当時のご様子を知りたい。との問い合わせがあったので、館長ノートにも少し書いておくことにしました。

 この特別企画展を準備中だった2010年3月、旧知の元高松宮家宮務官佐藤進氏から「今回、大和ミュージアムで高松宮宣仁殿下の企画展が開催されることを寛仁殿下に報告したところ、『おじ様の展覧会ならば、ぜひ呉に行きたい』とのお言葉でした、よろしくお願いします。」という電話をいただき、少々驚きました。殿下にお出でいただくということで、いろいろ準備もありましたが、当日、小村呉市長と私で、会場をご案内しましたが、寛仁殿下は、「おじ様(高松宮殿下)の記念のものが、こんなにあるのですね。私も初めて見るものばかりです。」と、どの展示品も身を乗り出して見ていました。特に高松宮の小学生時代のランドセルを見て、「小さいですね、」とニコニコされながら、感想を述べたりしていました。

 応接間での休息中には、「父は学者で、あまり家にいなかったので、小さいころは、いつもおじ様のところで遊んでもらっていたのですよ」と懐かしそうに思い出を話されていたのが印象的でした。高松宮にはお子様がいらっしゃらなかったので、妃殿下と一緒に、自分の子供のように可愛がってくれた、と話されていました。

 そして、お帰りになるまで、大変喜んでいただきました。

 この企画展が開催されるには、大和ミュージアムにとっても、長い縁がありました。

 最初の縁は、30年以上昔になります。私が司書として勤務していた、財団法人史料調査会は、創立者である富岡定俊(中将)氏が終戦時の軍令部一部長(海軍作戦担当)であり、高松宮殿下は軍令部部員であったことから、戦後も殿下からは何かとご支援を受けていました。中でも海軍に関わる記念品などはたくさん頂き、私も何度も高輪の御殿に行くことがあり、殿下にお目にかかる機会が何度もありました。

 その後、平成16年に大和ミュージアム設立準備のために着任したのを機会に、史料調査会にお願いして、それら殿下ご縁の品を、大和ミュージアムに寄贈していただいていました。

 平成18年春、高松宮家の最後の整理が行われていたころ、私のところに、当館の名誉館長でもある、阿川弘之先生から電話があり、「戸高さん、大和ミュージアムには、初加勢の写真はありますか」とのこと、「有ることはありますが、案外に良い写真は少ない船です」と言うと、「最近高松宮家に御挨拶に寄ったのですが、初加勢の写真があったので、あなた、大和ミュージアムで記念にもらったらどうですか。大和ミュージアムの話はしておきましたから」とのことでした。初加勢は、海軍兵学校所属の、いわば殿下用のヨットです。

 私は、さっそく、長いこと御無沙汰していた佐藤様に電話をして、用件を伝えると、「久しぶりですね。話は阿川先生から聞いています、戸高さん今は大和ミュージアムの館長なさっているのですね。殿下の記念の品は、いろいろ有りますから、一度見に来てください」とのことで、写真を一枚程度頂くつもりで、気軽な気持ちで、呉市の伊牟田氏(当時大和ミュージアム主幹)と二人で、久しぶりに高輪の御殿を訪ねました。

 佐藤様とは20年ぶりくらいの御無沙汰でしたが、全くお変わりないお元気な様子でした。そして、「海軍関係では、こんなものもありますよ」と次々に膨大な量の品々が出され、本当に驚いてしまいました。

 全く遠慮のない私は、不躾に「これ、全部頂いてよろしいのですか。」と聞くと「どうぞ」とのこと、さすがに持って帰れる量ではなく、その日は懐かしい思い出話で過ごし、日を改めて車を準備して出直し、殿下と妃殿下に関わる大量の品を頂きました。現在大和ミュージアムの貴重収蔵品として保管しています。

 また、別にお願いして、2日間ほどかけて、宮家の大きな倉を見せてもらいました。昭和初期に建設されたと思われる倉は、中に入ると素晴らしい檜造りで、御殿本体よりも立派ではないかと思われるほどの見事な造作に驚いたものです。

 こういった縁で、史料調査会時代に、お元気だった高松宮殿下から直接頂いた品と、更に妃殿下の記念品なども収蔵されている、大阪青山歴史文学博物館の協力を得て、貴重な記念品を紹介する企画展を計画したわけですが、これを先の佐藤様にお知らせしたことから、寛仁殿下のお耳に入り、殿下のご見学となったわけです。

 今回の寛仁殿下のご逝去の知らせを聞いて、お元気とは言えない体調をおして、わざわざ呉までお成りいただいたことを、改めて有り難く思い起こしました。

 また、大和ミュージアムが、多くの方々との縁で支えられていることを、ありがたく感じました。